大阪府四條畷市の史跡「和田賢秀墓」

大阪府四條畷市の史跡「和田賢秀墓」。南北朝時代の武将楠正行(くすのきまさつら)の家臣和田賢秀(わだけんしゅう)の墓所で、賢秀討ち死の地と伝えられています。賢秀は勇将として知られていました。正平三年(1348年)の四條畷の戦いの際、正行が討ち死した後も一人で敵将高師直(こうのもろなお)の首を討とうとしましたが果たせず、敵に首をはねられました。地元ではこの首が敵の喉に、あるいは鎧に噛みついて離れなかったと言われています。あるとき地元の人が歯痛で苦しんだ折にこの賢秀の墓所で祈願したところ治ったこと・・・

場所:大阪府 四條畷市

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掲載番号:200001013177